表象と表現、能動と受動、行為における偶然性/チャオ
 
の中に「世界は僕らの手の中」というのがあったはずだ。もしくは、歌詞に。いま、手元にないからわからないけど。

で、世界の中心はどこ?
どこで叫べば世界の中心なの?

どこかの大学教授がボールを世界にたとえていた。ボールは視点のあるところが中心になる。視点はかえられる。つまり世界の中心はいたるところにあるが、一点にしかない。

ブルーハーツが歌うように、世界は僕らに従順にしかならない。なぜなら、僕らこそが世界だからだ。だが、世界の中心がいくつも存在するように、世界の所有者も何人もいる。「僕」の手の中にあるのではなく、「僕ら」の手の中になるのだから。それは、専制的なものを拒絶した、支配な
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