生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
えまた奪うものである。私は私が自然に曝されていることを、受け入れて生きるしかない。なぜなら私は四六時中注意を巡らし続けることは出来ず、どこかの時点でその自然の力に身を委ねることは不可避だからである。
実はこのような議論は、宗教に特徴的なものである。単独者たる個人と、全自然、全宇宙とを直接に対比させる。宗教においては、個人は人間関係・社会関係一般に立ち入る以前に、全自然ないし全宇宙に、単独で直接対峙する存在である。そしてそのとき、人は自分がその自然ないし宇宙の諸力に、如何にしても身を任せざるを得ないことを知る。
このロジックを、虚偽のものだと感じるか、正当なものだと感じるかは、究極的には
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