生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
)という言葉を通してである。私は私「自身」(se)をコントロールする。「意識」として、私自身をコントロールする「私」(moi)の影には、私によってコントロールされる私「自身」(se)がいる。「自身」(se)は、私の支配に曝されている。そしてそれは同様に、私「自身」(se)が、私以外の者の支配にも曝されうることを意味する。「自身」(se)という語は、その身体性を通して、私が世界に曝されていること、私の身が世界に委ねられざるを得ないことを、その必然性を、明らかにする。
またレヴィナスは、「責任」という語を用いる際に、単に私が世界に委ねられているということ以上のことも、語っているように思われる
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