生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
「意識」が能動的に活動している時には、このように世界に身を委ねている私は、全く気付かれることもないし、忘れられている。「警戒」若しくは「意識」としての私は、世界に身を委ねず、自分で自分をコントロールすることにより、その生を送る。私は、世界に身を委ねている私を「忘れている」。「意識」=「記憶」としての私は、原理上「意識」を働かせていない時の私を「憶えている」ことは出来ず、そのために私は常に私を、自分自身をコントロールする存在であるとして考える。
けれども、記憶不可能な「世界に身を委ねている私」は、ある手がかりを通して、「意識」としての私にも「思い出さ」れることができる。それは「自身」(se)と
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