生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
は、この「借財」という語に対して成立可能な一つの説明を与えてみることを優先し、このような推理の是非については措いておくことにする。)
問題は「顔」という語の方である。「自然/他者に曝されている」という記憶不能な事実(意識を逃れる事実)は、「顔に対する応答、顔に対する責任」という意識上の事実に翻訳される。単に自然/他者の威力に翻弄されていただけの私が、今度は「顔」なるものを「殺すな」「生かせ」という命令に拘束されることになる。なぜこのような事態が起こるのか。なぜ私は、それまで全く無関係であった「顔」なるものに対して、「責任」を負わなければならないのか。いや、そもそも、「顔」とは一体何なのか。
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