生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
「<se>によって自己を告知する際、私は他人の顔に向かうように命じられる。・・・いかなる自由、いかなる意識〔良心〕、いかなる現在にも先だって背負わされた借財に対して責任を負うこと、それも、この借財について何らかの考えを抱くに先立って責任を負うこと、それが責任という応答である。ただし責任は、・・・ある痕跡を残す・・・仕方で応答する。この痕跡は隣人の顔として、両義的な仕方で輝く。私は顔を前にして・・・応答する・・・と同時に、顔に対して責任を負うているのだ」(p43)
「いかなる自由、いかなる意識、いかなる現在にも先だって背負わされた借財」というのは、先までに繰り返し指摘した、「
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