生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
ある。自然の力、自然の「能産性」自体は、常に人間を超えた所与のものとしてそこにある。人間に出来るのは、自然の生産力に驚嘆の念を感じながら、その力を活用することだけである。
勿論、実は、他人の意志も人間には支配不可能である。他人は人間にとって初期条件であり、他人は常に私を「超越」した能動的なものである。他人が次にどう動くかは、最終的には私の自由を離れている。他人は、その能動性において、常に私を「超越」している。
人間にとって初期条件、かつ能産性ないし能動性としての「自然」及び「他者」は、いずれも私を「超越」した何者かである。私はその力に曝される。私はその力に、知らぬ間に身を委ねざるを得ない。
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