「忘れられる」ものとしての「信頼」−「存在の彼方へ」を読んでみる15(2)/もぐもぐ
またそれを気づかせようとする。
勿論、ここで述べている宗教も社会も、理念化された極端なものに過ぎない。現実はもっと複雑多様である。
名前(<語られたこと>)に頼ってしか物事を見ていくことの出来ない私たちにとっては、日常生活の中で存分に発揮されている宗教性を見逃したり、また宗教という名の下に行われていることの醜さばかりに目が行ってしまうことは、多々あることである。「宗教」という名前は確かに危険なものだ。名前の付いていないところにこそ、宗教は眠っている、と言ってもいいのかもしれない。他人の家に上がる時は靴を脱ぎ、食事をもらうときにも毒見をしない、それは実は、それだけで恐ろしく相手を信頼している
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