殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
言っても良いだろうか。ホッブズは「機械」モデルである。レヴィナスは「自然」モデルを取る。責任の先在性を認めるのである。
或いは、ホッブズの言う「自然状態」についての解釈の相違といってもいいのかもしれない。ホッブズは、自然状態においては「万人が万人に対して狼」だとした。それに対してレヴィナスは、自然状態においても「責任」なるものは存在するというのである。
どちらが妥当なのかを決定する方法は、実際のところあまりないように思える。
ただ、例えば多くの動物が最初から「群れ」で生活し、或いは自らの種族同士「共食い」を普通しないことを見れば、「万人が万人に対して狼」という状況は、実は「自然」
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)