殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
構築物(人工物)」であるから、ホッブズのように「合理的」に考えて人間が自由に決定してしまえばそれでよい、という見方である。
もう一つは、「責任」は、実は「人間の構築物」ではなく、或る意味において「自然物」、人間に最初から与えられている何ものかなのであるから、人間の自由にはならないという見方である。「自然物」は、最初からそれ自体の何らかの性質や特徴を有したものであり、その性質や特徴は人間があれこれ勝手に決めることが出来るようなものではない。人間の方がそれに身をあわせて、その何ものかの性質に合うように、しっかり観察していかなければならないのである。
前者は「機械」モデル、後者は「自然」モデルと言っ
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