殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
る」というものである。
いくら無制限的な自由には弊害があるとはいえ、これは余りにも乱暴な議論ではないだろうか。レヴィナスはこのような暴論を、一体どのようにして根拠付けることが出来るのか。
それは、「合理性とは歴史、即ち記憶可能なものに依拠しており、他方で責任は時間(経過=喪失)、即ち記憶不能なものに依拠しているから」というものである。
記憶不能なものの中で締約される責任、それを記憶可能なものからなる「合理性」によっては説明することはできないというのである。
この議論を受け入れられるかどうかはかなり微妙である。
見方は二通りある。一つは「責任」などというものは、「人間の構築
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