殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
 
よって「責任」(無制限な暴力の禁止)を「強制」できるとした。しかしレヴィナスは、それは不可能であり、ある意味単に「自然」的な「事実」の問題として取り扱うのである。

レヴィナスは、これを「善」であるという。
「現在は私の自由のうちで始まる。これに対して、<善>は自由に委ねられるものではない。私が<善>を選び取るよりも先に、<善>のほうが私を選んだのである。みずからの意思にもとづいて善良である者は誰一人としていない。・・・主体性は知らぬ間に<善>の光線を浴びてしまう。かかる事態は非自由の形式的構造を描いているのだが、にもかかわらず、主体性はこの非自由が<善>の善良さによって例外的に贖われるのを
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