殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
 
的に考えるなら、全ての個人の生存にとって極めて不利な事態である。理性は、諸個人が社会契約を締結し、国家の威力によって暴力を抑圧すると同時に、それによって諸個人の生存をより実効的に確保することを要求する。社会契約は「与えて然るべき同意」であると捉えられた。「個人は自由である。但し国家の威力に服するべきことを除いては」というのがホッブズの結論である。

ホッブズ的な解決すらも、依然として理性の平和、別の形態での「闘争」の継続であるとして退けるレヴィナスは、果たして自由が拘束されることについてどのような形で説明を与えるのだろうか。

レヴィナスの答えは、「責任について合理的な説明は不可能である」
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