終わりの十五。/榊 慧
何といおうと、これは考えれば考えるほど(考えなくても、)分かりきったことなのだ。そういう悲しさ。その悲しさを思うと、俺はまた更に悲しくなる。そうして「消えてしまいたい」となるのだ。誰かに縋って泣きたくとも、その「誰か」がいないことにはどうしようもないし、ましてや消えることも出来ない。俺はこの感情のために、将来煙草を吸うかもしれないな、と思っている。煙草とは、便利なものだと思う。
この15歳の俺の悲しさを、例えばクラスメイトは理解できない。かといって上手く説明する術を俺は学んでいない。15年では学べなかった。または覚えられていなかった。俺は今、俺が15歳でここに存在して文章を書いている
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