経過のまとめ、レヴィナスの責任論−「存在の彼方へ」を読んでみる14/もぐもぐ
しくは<善悪の彼岸>−『存在の彼方へ』を読んでみる11」では、圧倒的な威力を前にした際の「恐怖」の「責任」への転化という、ニーチェ的な形でレヴィナスの「責任」概念を理解しようとしてみた。
「時間と認識−『存在の彼方へ』を読んでみる13(2)」では、成立以前の主体(思考・認識の主体)が「他者に晒されてあること」との関係で、「責任」に関するレヴィナスの論述の進め方を理解しようとした。
現段階では、レヴィナスの「責任」概念が果たしてどのようなものなのか、私にも十分につかめていない。上で試みた諸解釈の間にも、かなりの揺れというか不一致がある。今のところ、有力なのは、7、ないし13(2)で記述した形
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)