時間と認識−「存在の彼方へ」を読んでみる13(2)/もぐもぐ
しか見出されないという事実である。与えられてしまってから、どちらが先かを考えても仕方ないわけである。「どこから」それは「与えられたのか」。「経験(感覚)」からでもなく、「言葉(観念)」からでもない、その第三の場所、それは「どこ」なのか。
レヴィナスはそれを、「起源以前の過去」とか「起源に先立つ過去」といったような表現で呼ぶ(p37)。
とりあえず内容はブランクのままで考えるとして、とにかくこの、「起源以前の過去」とは一体どのような場面で見出されるのか。それは<語ること>においてである、とレヴィナスは言う(「時間が存在と存在するとは別の仕方でとの両義性を示すはずだとすれば、存在することとして
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