時間と認識−「存在の彼方へ」を読んでみる13(2)/もぐもぐ
 
念)」が先にあるから、与えられるから、各種の認識が可能になると考える人もいる。例えば、鳥を扱っている商人や猟師は、数十種類の鳥の名前と特徴を知っているから、それで数十種類の鳥を識別できるけれども、全然鳥と無関係で過ごしてきた人は、鳥の名前も知らず、どんな鳥を見てもただ「鳥」というようにしか認識できない。「言葉」によってはじめて「認識」が可能になるとする考え方である。どちらにも、一定の根拠があると思う。

これを哲学的に引き直せば、経験論と観念論の関係に近いものになる。カントはこの間をどのように調停するかということを考えた(と言われる)。


だが、レヴィナスは、このいずれの図式にも見落と
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