時間と認識−「存在の彼方へ」を読んでみる13(2)/もぐもぐ
痛いという事実自体は否定できない。私は私の時間的存在を否定できない(デカルト、カント等)。今とか今日とか昨日とか、そういった時間感覚もこれである。これらはどうしても否定できない、つまり「実在」する(参考に、デカルトのコギト・エルゴ・スムの論証もこれに近い。何かを感じているという感覚そのものはどうあがいても否定できないのである)。
一方で「実在」し、他方で「実在」しない「時間」。これはカントが指摘した「純粋理性」のパラドックスのようなものである。私が生きている、つまり私が「感覚」(五感)を意識的無意識的に働かせ続けている限りにおいて、「時間」の感覚は伴い、時間の「実在」は否定できない。他方、客
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