喪失としての時間−「存在の彼方へ」を読んでみる13/もぐもぐ
する。それが、「経過=喪失(lapse)」としての「時間」である。
「しかるに、このような時間化のうちで、回帰することなき時間という経過が、どんな共時化にも逆らう隔時性が、超越的隔時性が告知されなければならない」(p37)
ここで「経過」として言及されているのが、「歴史」とは異なる「時間」である。「経過=喪失」としての「時間」は、「歴史」ではない。それは「歴史」から「失われるもの」である。それは、「どんな共時化にも逆らう」、つまり「現前」することがない。「経過」としての「時間」それ自体は、決して「目に見えることがない」。それは「歴史」=「記憶」とは異なって、「回帰する」(思い出される)こと
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