喪失としての時間−「存在の彼方へ」を読んでみる13/もぐもぐ
 
記憶のうち「現前」(今現在において見えるような形で提示されていること)したものに限られざるをえず、その「現前」は文字によって記録することが出来、そしてそのように文字によって記録されたものこそが「実体」(物事の本体、本質)と見なされることになる。哲学(フェアに言えば、自然言語を使った思考一般)とは、「歴史(記憶)」=「現前」=「エクリチュール」=「実体」の優越により特徴付けられるものなのであり、「存在の彼方」を目指すレヴィナスは、その全てを敵に回して議論を進めざるを得ない。

勿論、このような事柄を批判したとして、一体何になるのだと言う反論がすぐに提起されることだろう。私たちは自らの記憶に基づい
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