暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
 
うな戦争を論じる以前に、まず、旧約聖書が与える初源的な恐怖に立ち返ろうとしているかのように思われる。レヴィナスは、契約以前的な、理由もなく全てを奪っていく神の威力を、肯定する。そしてその理由なき暴力の前に、全ての者は平等に打ち倒されるのだ。


例えば私が個人的に、この神の威力が最も典型的に表されていると思う場面は、やはり「出エジプト記」中の「過ぎ越し」の場面である。(これは、或る意味、旧約聖書中の全ての律法遵守の根拠をなす記事であるように私には思われる。)

恐ろしいことに旧約聖書中では、そもそも神やその使い(天使)を見た者はそれだけで死ぬ、ということが前提になっている。苦しいときの神
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