場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
 
らだ。レヴィナスは、
「私たちの企ては、<自由というもの>の彼方に至ろうとする企てである。たしかに自由は、戦争と物質的団塊の決定論を中断しはするが、存在することという運命に依然として囚われたままである」(p33)
と言っている。レヴィナスは、「生き方」とか、選択の「自由」のあるものとは別の事柄について、話をしようとしている筈だ。

ここで、「存在することの属領たることを拒む」という表現に注目したい。
「存在すること」、それは「生きること」でもあるが、同時に、「何者かであること」でもある。
「生」は、その本質上私たちに、名前、履歴、社会的地位、人間関係、等々を持った、「何者かであること」
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