場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
 
を意味するものであることを示さなければならない。つまり『存在とは他なるもの』は、存在することの属領たることを拒む自己自身(soi-meme)としての主体性なのである」(p34)

この辺の展開は、通常の観念からすれば、ついていくのにやや困難を覚えると思われる。
「闘争・利害」を離れた「生き方」が「人間的・主体的」なものであるというのなら、それは分かる。
それなら、「存在しないことを超えて」というのは、「死を超越して」そのような「生き方」を追及するということなのだろうか。
けれども何か、この解釈は違う気がする。なぜなら、「生き方」は個々人の自由であり、個々人が自分で選べてしまうものだからだ
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