場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
 
「実存」である。
現実存在。個物の存在。There is/are.「ここに〜がある」(しかも「〜」部分抜きの「ここに〜がある」)。「〜である」抜きの「〜がある」。単純な「我ここに」。
(「実存」についての若干の説明は、レヴィナスの芸術哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる9、を参照。なお、「実存から実存者へ」の芸術論では、レヴィナスはそのあり方を「裸」とも呼んでいた。)
もう少し普通の言い方をすれば、要は身体=感覚(五感)としての私である。
認識主観、理性、思考主体、としての私は、いつでも割り切りを求め求められる。「〜である」と全てを割り切っていこうとする。
だが身体=感覚(五感)としての私
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