場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
 
肉強食)と利害(「自己の生存への配慮」)とが「真理」であり「現実」であるのなら、それとは「別のあり方」は、一体何処に場を持つことが出来るのだろうか。
「現実」に歯向かう、「懐疑論」の言説は、下手をすると自らを「現実」=「存在(生)」以外の場所、即ち「死」に、あるいは「狂気」に、追いやってしまう危険性を持っているのではないか。

レヴィナスはこの「場所」の問題について、次の「主体性」の節で触れている。

(本文第4節「主体性」)
レヴィナスは、回帰する「現実」=「存在(生)」の強固さを、若干の文学的装飾を以って、次のように描写している。
「存在するとは別の仕方で。つまり、存在することの
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