レヴィナスの芸術哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる9/もぐもぐ
 
自由に振舞うものだとしても、その自由が創造的な想像力とか画家の主観主義に発するものとされたのでは、自由の正当な意義が見定められたことにはならない・・・いかに逆説的に思われようと、絵画は視覚との闘いなのである。・・・現代絵画において事物はもはや、まなざしがひとつの見晴らしとして得る普遍的秩序の要素として重要なのではない。あらゆるところで世界の連続性にひびわれが生じている。個別的なものが、存在するという裸の状態で浮き立っている」(p111-112)
かなり積極的に、<形>の解体を進める芸術を支持しているような感じもする。なお、ここで言う「世界」とは、ハイデガー的な「道具連関」としての「世界」のことで
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