レヴィナスの芸術哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる9/もぐもぐ
してたたずんでいる」(p109)
「壊れた世界」というのは、「対象」の「知覚」以前へと引き戻された世界、即ち「感覚(エレメント)」としての世界であって、それが「内面」「制約」(「枠」)を与えられることによって、「異郷」を告げる「裸身」、即ち「音楽」としての姿をあらわすことになるのである。
「同じ効果を、映画ではクローズ・アップが果たしている。クローズ・アップが面白いのは、ただそれによって細部が見えるようになるからではない。・・・クローズ・アップは・・・個別的なものがそれだけで存在するようにさせ、個別的なものの特異で不条理な本性を発現させる。それをカメラが、しばしば思いがけない視野の中に発見する
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