レヴィナスの芸術哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる9/もぐもぐ
かに詩的なものであるかもしれないが、それは「対象」の「知覚」によるものであり、レヴィナスが言う意味での「音楽的」なものではない。
(なお、「音楽性」(感覚、エレメント)のみで構成されている詩文を、逆に、「対象」の「知覚」に無理やり引きなおすことも常に可能である。例えば先の文なら、この亀は産卵しようとしていて、そのためにこれこれの理由でコップが必要なのだ、歌うというのはのそのそ首を動かしたり這いまわったりしていることの比喩表現だ、とか、様々な補足的・追加的な想定を持ち込むことによって、この文を通常予期される語の連結による文に引きなおしてしまうことができる。「解釈」とは大体において、そういう「対
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