「割り切れなさ」と懐疑論−「存在の彼方へ」を読んでみる6/もぐもぐ
認識されている(ニーチェの言う「遠近法主義」)。
レヴィナスは、このような「生死」の観点を、「超越」しようとする。
「超越」はどこにあるか。
これは生死の観点そのものの見直しの中から探り出していくしかない。その際誤ってはならないのは、「生死」について見直すということではないということである。実際に生死する私が、自分の利害を離れて生死について論じられる筈がない。見直すべきは「観点」の方である。「観点」とは何か。それは「誰」ということである。では、その「誰」とは、一体「誰」なのか。
(遠近法というのは、ある「観点」から見つめた世界を描写する方法である。その見つめている主体は一体「誰」な
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)