「割り切れなさ」と懐疑論−「存在の彼方へ」を読んでみる6/もぐもぐ
を結びつけて考えることはできない。
「〜である」というのは「断定」である。断定というのは、ある人の、他の何らかの物事に関する、確信ある認識である。
ここで、ハイデガーが言うように、人はその「関心」から他の物事を見つめる。それは究極的には「(自分の)役に立つかどうか」という観点から物事を眺めているということである。「〜である」という「断定」も、このような「関心」に導かれて規定されてくるものである。
「〜である」という「断定」には、(「私の役に立つか」という)私の「利害」が反映されている。
私の「利害」とは、究極的には私の「生死」である。
全ての物事は、私の「生死」の観点から認識
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