「割り切れなさ」と懐疑論−「存在の彼方へ」を読んでみる6/もぐもぐ
るではないか、自己矛盾だ、と)。
しかし、論理上おかしいと言っても、現に懐疑論のような命題を立てることは可能であり、それを支持するものも居るわけである。これはどうしたことなのか。
「論理上」というのは、<語られたこと>のレベル、つまり、発言内容のレベルで、ということである。ところが、現実のコミュニケーションにおいては、例えば「言外の意味」のようなものがあり、「文字通りの発言内容」と、それによって相手に伝えられることとは、必ずしも一致しない。
「懐疑論」が引き起こす問題は、何よりもまず、この「言外の意味」が持つ「ずれ」の問題である。
「発言内容」と「言外の意味」はずれている。「言外の意味
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