言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
せる。言語にはより情緒的な、或いは肉感的な、そして人間の感受性に生に結びついた、より「人間的な」部分があるのではないだろうか。また、だからこそ言語は、道具のように使い終わったからといって簡単に放り投げてしまうことはできず、より人間の「生」に深く結びついた、その「生」に継続的に影響を与え続ける、人間的事象であったのではないだろうか。

これは既に引用した一文からも読み取ることが出来る。
「存在の存在性はいま述べた重々しさにおいて逆転されるのだが、この重々しさは、起源に先立つ言語としての語ることに、他人に対する一者の責任に送り返されるのではなかろうか」(p27-28)。
詳細な内容の把握は難し
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