「存在の彼方へ」を読んでみる2/もぐもぐ
教者でも、ユダヤ教者でもない私に、正確なことを語ることは出来ないが、例えばそれは、神の名を唱えるようなものではないだろうか。若しくは、祈りのような。それとも、懺悔や、或いは瞑想に於けるような。
例えば、古今東西の宗教において、「懺悔」は共通して重要な実践として捉えられてきたというのは割と有名な事実である。キリスト教然り、仏教然り。いずれの宗教も、自分の罪を自ら告白すること、それによって自らの生を浄化し、或いはそれによって自らの信仰を深めることを、一つの重要な実践として行ってきた(今でも行っている)。なぜ懺悔がそれほどまでに重視されてきたのか、宗教学に疎い私は詳しい理由を知らない。だが、我を捨て、
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