「存在の彼方へ」を読んでみる2/もぐもぐ
ことが漸く示唆された。
文章自体は相変わらず混雑した感じであるが、神学的思想としては、それらしい感じになってきたというところではないだろうか。先にサルトルの「まなざし」との比較から、<語ること>は、神に向かって語るという場面を念頭において述べられているものではないかと推測した。<語ること>と「超越」との間に関係があるというのは、言うなれば、このような神へ向かった語りが、まさに倫理の問題と深く関わりあっているということである。信仰の観点から社会の問題を考え直そうとする者にとっては、これはある意味当然の、しかし不可欠な認識であるのだろう。
神へ向かって語るとは、どういうことか。
キリスト教者
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