「存在の彼方へ」を読んでみる/もぐもぐ
 
した自らの死を甘受する人間、こうした<精神>や人間においてのみ、内存在性は姿を現すのではない」として、ヘーゲル等の先行哲学の立場に対する反意が表明される。そして、「そうではなく、内存在性は存在者の努力・傾動という肯定的な事態に他ならない」という別の立場が提示される。(p23)
「努力・傾動」はスピノザの言葉で、「肯定的」(ポジティヴィテ、ポジティヴィテート)はこれも哲学上の術語であるようなので、これまたいかにも哲学的に組み立てられた論述なのだろう。厳密な意味合いは私には理解しかねるが、全体として、「存在すること、利害関与」の意味は、哲学的な観想や認識の対象というよりもむしろ、現実的な力として現れ
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