「存在の彼方へ」を読んでみる/もぐもぐ
の言葉で、戦争やそこからの脱却を考えていくことに、どのような意味があるのだろうか。
存在=生であるとか、生=戦いであるとか、取引でも暴力でも戦いには変わりがないとか、その骨子だけを取り出してみると、レヴィナスの議論はかなりヘーゲル的というか、本質主義的である。その辺りが、レヴィナスをして、枝葉末節を無視した極限的なレベルでの議論を展開させることになっているのかもしれない。この意味では、レヴィナスの議論はある種の「神話」であり、形而上学である。
素朴なのか、本質を掴んでいるのか、いずれなのかは私には判じかねるが、こうした極限的な思惟は、特に宗教的な思惟において特徴的なものであると思われる。個
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