「存在の彼方へ」を読んでみる/もぐもぐ
 
在することとを区別するとしても、この相違は究極的な相違ではないのではあるまいか。」(p25)
取引というのは等価交換であるから、現在得をすれば未来で損をし、現在損をすれば未来で得をするというのが原則である。(勿論実際の取引がこれほど単純なわけもなく、例えば経済取引を考えれば、マルクスが指摘するように、名目上の等価交換において実際上の価値の差が生じているからこそ利潤が発生するのだが、その辺の細かなことにはレヴィナスは触れていない。あくまで理念上、取引というのが互恵的なものであるという部分から考えているのだろう。)レヴィナスは、理性によって平和的取引が行われるようになったとしても、それは内存在性の我
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