純粋正義への架橋16/チャオ
 
再び、言葉へ思考を還そうと思う。

言葉の限界性と、想像性。それはその言葉のみにしか持ちえることはなく、また同時に各人それぞれに持ちえた、物語である。幾多のバリエーションと、それだけでしかない唯一性を持ったもの。それが言葉だと僕は考える。

はたして、それはどこへと続くのか。

すべての言葉は両義性を含んでいる。

すべての行為は両義性を含んでいる。

正義は悪を含み、悪は正義を含む。

その道程にこそ、唯一の論じられる可能性があり、その結果には誰一人としてr論ずることのできない神秘性がある。

感情という過程。言葉という結果。結果こそが事実であり、人々に表象される物語
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