純粋正義への架橋16/チャオ
物語なのだ。だが、根源的な、その言葉に根ざそうと僕らが歴史を垣間見たとき、僕らはその断片によってのみしかそれを感じることはできないのだ。
つまり、歴史の中で生み落とされた天才たち、それだけしか僕らは見ることはできない。正義は悪を淘汰していくが、その悪は、常に正義性を帯びていなければいけない。でなければ、そこに淘汰される歴史の意味は存在しなくなる。
すべての言葉の両義性は歴史によってその善悪を決定させられる。
その彼岸で、悪も、善も、それらは混在しあい、いずれ、語りつくせぬ意味が髣髴と生まれている。
にもかかわらず、現実と名を打つこの世では、それらの両義性をはいたし、一元的な意味へと還元
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