「批評」という運動が体現する解釈の現場/ななひと
 
味と意味の閾値を往復するだろう。こうした意味をめぐる祝祭が批評家と被批評家の中の精神的葛藤をへた合意形成によって、ある一定の枠組みにおさめられていくのだ。
批評とは決して、作品という既に書かれたものに、手を加えていくというだけの作用ではない。そこにおいては、批評家・被批評家をめぐる精神的ヒエラルキーをめぐる二つの精神のすりあわせ運動があり、そしてまた改変されていくテクストは、改変されるというまさにそのことによって、多重な運動を展開するのだ。もちろん、そのことは、批評によって作品が完成された後でも変わらない。一枚の絵は多くの「そうではなかった可能性」に常に脅かされているのであり、音声の転写=記号と
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