詩を読むこと=読まれること−幸福と殴り合いの/ななひと
 
その意見を取り入れるにせよ、やはり自分のもとの表現を貫くにせよ、「読者」のもつ価値体系、言語的背景を、「作者」は既に知ってしまったという記憶を消すことはできないからである。すると「作者」にとって、テクストのその個所は、ある別の言語的背景を知りつつ、それを受け入れない表現、というものに変わらざるを得ないのである。もちろんこれに「読み」の深化という名前をつけることは可能である。批評・感想という行為は、こうした、「作者」と「読者」の詩的言語の接触であり、そこには不可逆でしかありえない意味への暴力行為が常に発生する。もちろんこの「暴力」を意味の「深み」の獲得ととらえることももちろんできることである。

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