詩を読むこと=読まれること−幸福と殴り合いの/ななひと
 
こともあるだろう。しかしそういう場合でも「良かった」「面白かった」ですむ場合は少ないだろう。(という意味では、何でもいってよいというのはやはり言葉どおりではありえないともいえるのかもしれない)いや、それですむならそれはそれで良いのである。
さて、面と向かってなにがしか含蓄のあることを言わなければならないとした場合、そこには必ず言語的暴力が発生する。これは、作者の側が、何を言われても貴重な意見として受け止める、と覚悟していても不可避的に発生すると言わざるをえない。なぜなら、その意見を聞くことで、「作者」は、「読者」の価値観、言語的背景を、一旦は受け取らざるを得ないのであり、「作者」が、その後、その
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