純粋正義への架橋11/チャオ
性を考えていきました。つまり僕は、ここで、ポルカさんのいう、「減った分」がどこへ行くのかを考えていのです。
その「減った分」は僕にとり、見えなくなったものでした。道徳の公式化は、そこに無理が生じるのです。数が減ってしまっても、皮肉な言い方ですが、別に誰も責めはしない。と言ううより、それを強引にひとつの形に押し込めてしまえばよかったのです。
だが、誰かの正義性、主張、人格が失われることは、一人の人を崩壊させることになる。つまり、道徳を公式化することによって、ひとつの正義は隠され、見えなくされるのです。そして、ひとつの正義としての意味を剥奪されてしまうのでしょう。
読み返して、僕はそこで
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