接触/相良ゆう
が衝突しているのではなく、「私」という概念が、他の「私」という概念と衝突していると捉えると分かりやすい。たとえば民主主義を標榜する「私」と共産主義を標榜する「私」は、私という概念の存在のために衝突する。思想は衝突しないが「私」は衝突するのである。これには明確な理由がある。思想は体を持たないが、「私」は体を持っているからである。ここで「私」という概念の性格を振り返る。「私」という概念は体と心の両方を「自己」として認識することで作られる。心だけなら私たちは衝突する必要が無かったであろう。しかし私たちは体をも含めて「自己」という概念を形成している。此処に問題がある。現実世界の事物との関係交渉の基礎は接触
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