体験の共有/相良ゆう
もあります。つまり感覚は物質的なものを精神的なものに変換するのです。そして精神的なものに変換されたものを言葉などの記号を使って概念的なものに変換することが、表現という行為なのです。と説明することができそうです。
感覚が物質的なものを精神的なものに変換し、さらにそれに言葉などの記号を付与することによって精神的なものを概念的なものにすることで、私たちはやっと体験を共有することができます。なぜなら時と場所を同じにしたとしても、そのときに何を感じ、何を思い、何が起こったのかを共有することができなければ、体験を共有したとはいえないからです。
私たちは日常生活やその他の様々な場面で、様々な言葉に出
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)