まなざし、不可知、忘却/ケンディ
脱落(とつらく)を、私は
憂いに満ちたまなざしで眺めたものだ。
そのときの私のまなざしは、
憧れのまなざしだったのか、
畏怖のまなざしだったのか。それは
私には決して分かりようがない。
彼にも分からない。だが、私も、彼も
「分かった」と言う。
私はイメージする。酔いしれて文脈断裂的に
語る不治の病の彼は、境界の鎖を
断ち切ってラッパを吹き鳴らして
花びらと戯れる半神で、
私は冬の土壌を憂いに満ちたまなざしで
見つめている農婦だ。
ところで、なぜ私自身のまなざしの意味が
私に分からないのかだって?
そして私のまなざしを眺めている彼にも、
私のまなざしが分からない
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