女といふもの/亜樹
逃げ場を失ったものの、諦念である。
「女性的な優しさ」とは一体なんであろうか。私にはわからない。私が今までに詩を読み、ああ、これは女性だ、と感じたことのある詩人は石垣りんだけである。彼女の「崖」という詩を読んだとき、私は作者の名を見ることもなく、これは女だと思った。これほどまでに美しく、潔い怒りは、女でしか持ち得ないと素直に思った。その後詩集を買い求め、巻末の解説で彼女が「鬼」と呼ばれることを知った。古典の世界において、鬼に変ずるのは女だ。怒りにおいて、悲しみにおいて、壮絶な変化を有するのは女だけだ。そう思うと、なるほど相応しいように感じた。
これらのことから、私が考えるに「女性的な」とい
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