女といふもの/亜樹
 
という形容動詞が相応しいのは「優しさ」ではない。追い詰められたものの、そうなるを得なかったものの「諦め」であり「怒り」であり、それ以外の激しい何かだと思う。「優しさ」という、輪郭さえも定かでない曖昧模糊としたものではあるまいと思う。
 女というものが優しいものであることを強制される時代はとうに過ぎた。けれども、詩の世界ではその傾向は未だ現役であるように感ずられる。それは、みすゞの、また多くの女流詩人の魅力を押さえ込む重たい枷であるように、私には思えてならない。
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