若き詩人の手/yo-yo
「此の不思議な色鉛筆の蒐集品だけが、テエブルの上で彼の頭と心にある色彩を見せてゐたやうである」
と犀星は、一度だけ道造の部屋を訪ねたときの印象を書いている。
道造の「頭と心にある色彩」が、まだ詩の言葉として熟成される以前のことだったのだろう。
道造は二十三歳の秋に肋膜を発症。その後、疲労と微熱に苦しむことになる。
昭和十四年の春に道造が亡くなった時、そばに付き添っていた女性がいた。彼女は、病室の道造の寝台の下に、畳のうすべりを敷いて夜もそこで寝ていたという。道造の衰えていく手となって、ひたすら献身的な看護をした。
「女の人はかういふ恐ろしい自分のみんなを、相手にしてやるものを沢山
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