「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
ると思う(気づく)ことがなかなかに耐えがたいものとしてある。
良寛は当時、新潟で起きた大地震で多数の死者が出たときに、「死ぬ時には死ぬるがよかろふ」と言ったという。これはそのことに仏教的な、無常を言った言葉ではなかったのではないか。彼はただ事実を前にして、「それがどうした」と言ったのではなかろうか。守ろうが守るまいが、私たちはいずれ、それぞれにその生命を失うのであり、認めようが認めまいが、私たちは皆、その社会、その世界、その時代に属しているのであり、さらにどの時代のどの社会にも「死」というものが存在するのであれば、訪れる形がどうであれ、何かのせいにして、自らの死をあけわたす理由などなにものも
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